酒とタバコと葉っぱとキノコ

クソみたいな日々を送るクソみたいな人達のためのクソみたいなブログ

ジョンフルシャンテのギターレッスン

言わずと知れたレッドホットチリペッパーのギタリスト。ジョンフルシャンテのブログがあるそうで、たまたま訳してる人がいらっしゃったのでここに転載。


ジョンフルシャンテ流「手と脳のためのエクササイズ
2008年11月14日

やあ、ジョンだよ。
このブログはボクの音楽を聴いてくれている人たちへ、ボクから何かを伝える場として続けていくつもりだよ。
気が向いたらいつでも、自分の感じるままに何でも、とにかく書いていこうという気持ちになったんだ。
ボクは時代遅れの(old=忌々しい)マスコミやテレビやラジオが好きじゃないけども、
ブログならば雑誌のフィルターにかけられることなく、みんなとコミュニケーションがとれるからね。
それにマスコミの戯言って音楽とはなーんの関係もないんだ。

書き始めとなる今日のエントリーでは、エクササイズ(脳と、脳のはたらきに引けをとらない手のためのエクササイズだよ)の説明をさせてもらうね。
このエクササイズは、どんな楽器(声も含む)でも可能と思うんだけど、ギターを使って説明するね。

レッスン1:

例1:
まず、4つの連続音でできている上昇フレーズを繰り返し弾く。
たとえばメジャー・スケールのいちぱん下の1の音から4番目までの音とかね。
それで1から4までの音でできている上昇フレーズを
何度も何度も繰り返して弾くわけだけど、
同時に心では1、2、3、4、5とカウントをとるわけ。
そして心の中でカウントをとっている5拍の1フレーズのうち、1拍目にアクセントをつける。
つまり、左手には左手の仕事をずっと続けさせておき、
心の中では1、2、3、4、5、1、2、3、4、5とカウントをとることにも集中するというわけ。

いつも1拍目は、他の音よりも大きな音になる。
ということは、最初のアクセントが1回目では1番目の音。
では、2回目のアクセントは、2回目の繰り返しの2番目の音。
3回目のアクセントは、3回目の繰り返しの3番目の音。
4回目のアクセントは、4回目の繰り返しの4番目の音。
こうやっていると、
ボクたちは心の中でとっているカウントの1でアクセントをつける世界に呼び戻され、
何度でもエクササイズを続けてしまうよね。
例2:
例1と同じように、4つの連続音でできている上昇フレーズを繰り返し弾く。
そしてこんどは心の中で1、2、3、4、5、6、7と7拍1フレーズのカウントを数える。
さらに7拍のカウントのうち1拍目でアクセントをつけてみると、
この場合の各アクセントは例1で旋律につけたアクセントの各場所よりも後の音にくるのがわかると思うよ。
もちろん例2の場合でも4つの連続音でできている上昇フレーズを弾き続け、7拍のカウントの1拍目にアクセントをつけていればね。
そうやってやってみると、
2回目のアクセントは上昇フレーズの4番目の音、
3回目のアクセントは上昇フレーズの3番目の音、
4回目のアクセントは2番目の音、
5回目のアクセントは最初に戻って1番目の音につく。
こういったエクササイズのもっと複雑なバージョンはまだ他にもあるんだけど、この2つの例が基本的な考えを表しているんだよね。
というのも、これは左手が上昇フレーズを演奏するためのポジションを担当していて、それは一定量で1つの単位となるフレーズ。
かたや右手は、左手とは別の一定量に従ったアクセントをつけるということをしているからだよ。

演奏家ではない人たちへは、下の図のような2つの列でこの考えを説明できるかも。

123412341234123412341
123451234512345123451

5拍からなるカウントが下の列で、4つの音からなるフレーズが上の列。
5拍のうちの1拍目と、4つの音からなるフレーズの関係は
2回目の1拍目が上の列の2と同じタイミング、
3回目の1拍目が上の列の3と同じタイミング、
4回目の1拍目が上の列の4と同じタイミングで
5回目の1拍目は、最初に戻ってきて1となる。
というわけでこの関係は繰り返されるし、限りなく同じなんだよね。
どんな2つの数(たとえば5、7、11、それと9のような数)で繰り返してみても互いにパラレルな関係がおきるし、
この種の循環がおきるよ。
それらの循環は2つの数の存在構造(訳註:存在構造.......哲学によくでてくるアレっぽい)そのものがもたらすんだけどね。

ボクたちが作曲をするときはいつも、数(numbers=数、行数、楽節)の中でやっている。それは絶対に変わらないよ。
そして音楽のなかで、ある程度の量の調和よく組み合わさったところを見つけてみると
数に関係することがバラエティ豊かに、そして同時に起きている最中なんだ。
たとえば、1曲の中盤でまとまっているところを聴いてみよう。
1人の女の子は自分の100番目の声を出している。
別の女の子は自分の76番目の声を出している。
さらにもう1人の女の子は自分の50番目の声を出している。
とは言っても、ボクたちは「彼女たち全員が同じところで声を出している」と感じて聴いてしまうんだけどね。
そのように、音楽はめいめいの特異点や相違点を調和させるという良い例を示している。
もっとも、1つ1つの数はさまざまだろうけども、ボクたちは違いのない同じものが存在すると思って聴く。
あるいは逆に、1つ1つの数は違うものだとわかっているけども、最後にはすべての数が1つのものになっていると感じる。
お互いによって決まり、お互いなくしては存在しないというようにね。
音楽を演奏するときは音を1つずつ数える必要はないよ。
むしろ望ましいのは、違いを表現することと同時に、つながりや関係を狙うこと。
たとえばベース・プレイヤーがギタリストの弾くコードのなかでいちばん低い音を弾くのに慣れてしまっているようじゃ、
まず彼は自分を表現するという能力を活かすことができないだろうね。
でも同じようにギタリストにコードを弾かせつつ、
自分はいろんなリズムや音を弾くというならば、
しかも彼とギタリストのあいだで気持ちが通じ合っているならば
その時、音楽は2人の特異点やつながりあっているところを同時にあらわすんだよ。
それについては日常の生活でも同じさ。
めいめいの意見や感覚・知性はそれぞれ異なるよね。
そしてそういうことがボクたちへ
「どんなことでもいろんな違いがあるんだ」と気づかせてくれる能力を授けてくれているわけなんだけど、
同時にそれは、特異性を持つ他者との関係についても理解できるという能力に恵まれているわけ。
そういう関係は、みんながまるで1つになったかのように一緒にいるってことを示しているんだよ。

数は、数量そのものからは想像できないくらい大きくなったり小さくなったりする。
たとえば心の中でキミのともだちの姿を1人思い浮かべてごらん。それは簡単だろう?
でも2人のともだちの姿を同時に思い浮かべるってなると、難しいよ。
もっともっと難しいのは、3人から以上のともだちの姿を同時に思い浮かべること。
というわけで、数量の大きな数も、数量がとても少ない小さな数も、
ボクたちが想像も及ばないものを持っているからこそ
ボクたちは数や数量といったものに関心をもっていることや
ボクたちの心は数を把握したり理解する能力を持っているということがわかるだろう?
ミュージシャンの場合、ボクたちはたいてい小さな数のことをあれこれ考えている。
音楽では4という数と、その比較的小さな倍数がかなりよく発生するんだよね。
けれどもボクたちは4や4の倍数をもてあそぶ能力を持っていて、音楽のなかにそれらすべての数を導入している。
たいていの人びとは、音楽がたいてい4という数字のグループに属していると考えたこともないようだけど
ボクは4という数字がみんなの好きな数字や数量であるに違いないと思うよ。
だって欧米圏の歌のたいていは4分の4拍子で、人間が最初に発見したハーモニーは平行4度なんだから。
(訳註:この場合の平行4度は、グレゴリオ聖歌等で平行4度で重ねて唄う平行オルガヌムのことを指していると思われるが、
    人間が最初に発見したハーモニーとまで断定してしまうのはちょっとアレかもしれません)
それにボクたちは16小節や32小節で起きることには納得しやすいようだし、
拍子記号に奇数が加えられていてもそれを分解し、
16小節や32小節や64小節の後を追って新しい旅に出発する。
もし例外があっても、それは16小節や32小節や64小節のために作られたんだよ。
というわけで、数には無限の可能性がある。
そして音楽の中での数や数量の活動を無視すると、
同じ数量パターンの繰り返しを何度でも繰り返し続けてしまうという結果にしょっちゅうはまる。
けれどもそのことに気づくと、ボクたちは数のそういった傾向やワンパターンから逃れられるとともに、
数や数量の活動が、自分たちの新しい音楽的アイデアをぴったりと合うところへ導いてくれるというわけ。

それから覚えておくと良いのは、
ボクたちそれぞれの違いというのは、人びととの関係やつながりにポイントがありうるということ。
ボクたちはともだちと同じような服を着たりする必要はないし、
関係を深めるためにともだちと同じ意見である必要はない。
それがこのエクササイズで伝えたかったことだよ。
つまりこのエクササイズというのは、右手は右手で単独に別のことをしている、
左手も左手で単独に別のことをしている。
でも両方が織り成して(交わって)融合すると3つめの新たなものを作り出す。
たとえば性の異なる人間同士がセックスをすると、その結果として子どもを授かる。
あるいは意見や信仰の違う人と会話を交わすうちに視界の広がりを得る。
そういったものなんだよね。

またこのエクササイズにかかわることだけど
ミュージシャンがいつもの身近な楽器を弾くとき、いろんな速さで各音を演奏しているよ。
さらにボクはずっと気がついていたんだけど
ミュージシャンたちのあいだに本当のケミストリーが生じているとき、
彼らは個人個人で選んだ音を弾き、しかもそれらの音はさまざまな種類の速度で演奏されるんだ。
そしてそういった個々の音たちは複雑に絡み合うとともに、お互いでバランスをとりあうという
宇宙のような傾向があるよ。

ボクたちの脳は数に対する感覚ではなく、
楽器との良い関係や
キミがボクたちのために細心の注意でもって演奏してくれる音楽のセンスを
見失わないようにする能力を持っているんだ。
今回挙げたエクササイズのほかに、ボクはこれに似たエクササイズをたくさん持っているよ。
ボクが提示するその種のエクササイズは、キミの能力を目覚めさせるものだ。
しかも、キミには「ある特定の音をどれだけ一生懸命に弾くか」と選ばさせないタイプのものなんだ。
キミが採用したかった「ある特定の音をどれだけ一生懸命に弾くか」という方法のなかの「ある特定の音」は、
ミエミエの好みや傾向によって決められるし、音そのものの並べ方が傾向を決定づけるからね。
でもボクが今回伝えたエクササイズはキミがいっそう表現に富むような手助けを本当にしてくれるよ。
それもほとんど予測が不可能な方法で。
それから音そのものに応じて、いかにハードに弾いたりソフトに弾いたりするかという
各音に対する気遣いが、このエクササイズを経て後天的な天性となるんだ。
最初はゆっくりとした速さでこのエクササイズをやってみてもいいよ。
キミはできる限りの大きな音量で、1拍目となる音を弾いてみる。
それに対して、残りのカウントの音はできるかぎり小さな音で弾いてみる。
すると音量を区別して弾くことを強いられていた末に、
キミはなんて早く弾くことができるようになったかがわかるよ。
このエクササイズは速いスピードで各音と各音の音量をはっきりとさせることがとても難しいんだよね。
あとは、いろんな場所でアクセントが交わる数でやってみるのもいいよ。
たとえば7つの音で構成されているフレーズの場合、そのうちの5音を1くくりとして
5音ひとくくりの1拍目にアクセントをつける。さらに5音ひとくくりの3拍目にもアクセントをつける。
ONE two THREE four five、というようにね。
こういったアイデアに基づいて、キミたち自身で創作できるエクササイズはほかにもいっぱいあると思う。
ボクはキミたちがエクササイズをすることによって、
キミたちが以前よりももっと意識や気持ちをこめて、
そして以前よりももっと表情豊かに演奏していることを気づいてくれると信じているよ。


う〜ん、天才。
  1. 2008/12/31(水) 21:40:07|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<塔婆に登場 | ホーム | ムロフシ>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://milesbeethoven.blog44.fc2.com/tb.php/22-3cd932a5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

最新記事

カテゴリ

レビュー record (41)
映画 (1)
未分類 (0)
日記 (35)
小説 (0)
思うこと (0)
独り言 (5)
power pop (0)
rock 'n' roll (0)
punk (0)
本 (3)
U.S.A (36)
フランス (2)
U.K (16)
オーストラリア (1)
スウェーデン (2)

月別アーカイブ

プロフィール

milesbeethoven

Author:milesbeethoven
上手に語れる経験などは、経験でもなんでもない。はっきりと語れる自己などは、自己でもなんでもない。

THE DEADVIKNGS


狂本狂介 & The Hernia Bop Monkeys


twitter

mixi(ミクシィ)やってます!

リンク

このブログをリンクに追加する

検索フォーム

QRコード

QRコード